No.14_藷食たべてゐる子に何が好きかと問ふ_京極杞陽
ソード9(逆)、カップ8(逆)、女帝
長らく私の脳内では、京極といえば「夏彦」でした。
俳句を始めてから「杞陽」を知ったわけですが、
必ず一度「夏彦(呼び捨てすみません)」のビジュアルを思い浮かべてから
「杞陽」は俳句の人だったなーと訂正するという手順を踏んでいたため、
京極杞陽=耽美または妖怪というイメージを勝手に持っていました。
実は、夏彦の方の京極作品も杞陽の方の京極作品もきちんと読んだことがなく、
断片的に入ってくる薄い情報を元に私の中の「京極」イメージが形成されていたのです。
なので、絶対的に自分が悪いのですが、
私個人としてのこの俳句のキモは京極なのに「藷」ということでした。
脱線しましたがカードを順番に見ていきます。
1枚目、ソードの9で逆位置、見るからに悲しそうなカードですが、
悲しみとか不安を表すカードです。
ベッドの上で顔を覆って泣いているのかな?
剣がぶら下がってるのもちょっと怖いです。
2枚目はカップの8の逆位置。カップの8は潮時とかそんなイメージ。
3枚目は女帝。ここにきてだいぶイメージが違うカードが出ました。
女帝は富とか愛とか満足、いわゆる豊かさを表します。
このカードだけ大アルカナです。
しかし、 俳句に対して出たカードがドラマチック過ぎる気がします。
藷を食べている子、藷そのもの、問いかけている人、
この中のどれもソードの9の悲しみや不安を持っている様に思えない。
そもそもそんなシリアスな状況がこの俳句のどこにあるの?っていう感じです。
とはいえ、タロットカードは真実を照らす(と思い込んでる)わけですので
頑張って読みときたいと思います。
カップの8を見る限り、何かを手放さなくてはならない状況にある様です。
でも、逆位置ですので、まだちょっと諦めきれなくて踏ん切りがつかない。
その中で、ソードの9の逆位置を悲しみを受け入れたと読みたいと思います。
まだ手放す決心はつきかねているものの、今の状況を受け入れたということです。
受け入れたのが誰なのかを断定することは難しいのでしませんが、
この俳句に登場する人物のことなら食べてる人も問う人も
「藷を食べているな」と認識した。
万が一藷の目線で語られるならば
「食べられてるな」と認識したということです。
そして、女帝は
「何が好きか」
という問いそのものを表していると思います。
女帝の意味は豊かさです。
豊かさの中には当然好きなものが含まれますので、
女帝はこの問いそのものと解釈することにしました。
さらにもうちょっと進めて、女帝のカードからのメッセージは、
現状を受け入れて何か好きなのかを考えるということが
豊かさへの一歩なのだよということなのかなと。
今回、何かを手放さなくてはならない状況にある人(または藷)が
誰なのかを考えることはやめました。
食べている人、問いかけている人、
あるいは藷そのものがそれぞれに
「何が好きか」
という問いに向き合っている方がこの句の感じかなって。
ここだけちょっと私情が入っています。
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