No.36_蟷螂の怒りまろびて掃かれけり_田中王城

ソードの10、皇帝、ペンタクルの2


また知らない俳人が出てきました。

田中王城は京都俳壇の第一人者だった人だそうです。


俳句を占う時、なんでこのカードなの?

と、思うことは多々ありまして

今回もその「なんで?」というカードでした。


そもそも、この俳句に書かれていることは

蟷螂が怒っている/蟷螂が転んだ/蟷螂が掃かれた

ということだけです。

強いて言えば、「怒り」というのは

人間から見てそう見えたということかもしれなくて、

本当に蟷螂が怒っていたのかは不明。

蟷螂的には

「自分、見た目がこんなんなんでよく誤解されますけど、全然怒ってないっすよ」

みたいなことだったかもしれないです。

知らんけど。


とりあえず順番にカードを見てみます。

1枚目、ソードの10。

見るからに痛い絵柄ですが意味もそのまま痛み、他には考え切るなど。

2枚目、皇帝。

このカードだけ大アルカナで意味はリーダー、管理、父なるもの。

3枚目、ペンタクルの2。

二足の草鞋、バランスという様な意味です。


まず、ソードの10ですがこれは「蟷螂」のことかなと思います。

ソードの10は直接「怒り」を意味するカードではありませんが

過剰な痛みは外から見ると怒りに見えるのかもしれないと考えました。

蟷螂に何があったのかは知るよしもありませんが、

追い詰められている状態にあるのだと思います。

それが怒りとして現れた。

またはそれをみている人間が蟷螂の怒りとして受け止めた。


次に皇帝ですが、これをどう解釈するかは結構悩んだんですが

社会と読んでみます。

社会っていうのはルールやマナーなどに従う世界というのかな。

日常的なことだったら「赤信号では停止する」とか

ラグビーの世界だったら「ボールは後ろに投げる」とか

まぁ、そういう決まり事がある世界のことです。


蟷螂には蟷螂の人間には人間の社会があるのでしょうが、

この皇帝は蟷螂も人間も含めたもう一回り大きい社会として解釈しました。

蟷螂が蟷螂の社会のルールの中で怒り、まほろんだところを

人間が人間の社会のルールで掃いてしまう。

その一つ一つが蟷螂と人間を含めた一回り大きな社会を

構成する要素として存在し繋がっているということです。


さて、最後はペンタクルの2。

物質を表すペンタクルは2の段階になって「交換」が生まれます。

このカードは、蟷螂の価値も人間の価値も同じように

交換されてバランスを取っているということだと思います。


今回のリーディングはなんだか壮大になってしまいました。

大袈裟すぎるかもだけどいいとしよう。

あと、これはタロットリーディングというより

カードを見た私の個人的な感想ですが、

蟷螂の視点も人間の視点も俳句という枠組みの中で

同じ大きさで扱っていいよねってことかもなとも。


ソードの10の絵では右上の雲間から光がもれてきていて、

蟷螂にも夜明けが近いことを暗示していますので、

その後の蟷螂が少し気になります。

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