No.40_子規逝くや十七日の月明に_高濱虚子
ペンタクルのキング、死神、ソードのペイジ
虚子の句は2回目。
前回はこちら→No.10
月というと俳句ではかなり大きな題とされています。
雪月花という言葉もあって、四季を代表する自然ってことみたい。
占いの世界でも月は結構重要視されていまして、
新月や満月、日食、月食は特別な日として扱います。
私が練習しているアシュタンガヨガも
新月と満月は練習をお休みする日として区別されていて
ちょっと面白いなと思いました。
さて、今回のカード。
一枚目、ペンタクルのキング。
社会的、経済的な成功。または成功した人。
二枚目、死神。
物事の終わり。終わりからの再生。
三枚目、ソードのペイジ。
新しい風。新しい価値観を持つ若者。
今回は、「確かに!」と思うカードが出てきました。
まず、ペンタクルのキング。
これは子規そのものかなと思います。
短命ではありましたけど、日本の近代文学に大きな影響を残しました。
一つの頂点を極めた人と言ってもいいのかなと思います。
そして死神は、そのものずばりの「死」です。
子規逝くやとありますので子規の死のことと読みました。
さて、この死神というカード。
稲妻が光る不穏な空に大きな釜を持つ髑髏の絵柄。
見るからに不吉です。
意味も終わりとか死で全く愉快なカードではないのですが、
足元にきらきらっとした宝物が沢山あるのがわかりますでしょうか。
実は、死神のカードはこのきらきらっがキモだと私は思っています。
死神のカードの死とは、次のステージへの移るための
一旦のお終い、一旦の死ということではないか?ということです。
今持っているものを全部手放してししまったからこそ
それ以上に素晴らしいものを築くことができる。
と、そんな風に解釈しています。
とはいえ、この俳句が作られた当時、
子規が亡くなってしまった時点では
次に何を受け取れるのかは全く分かっていないわけで、
子規との別れは非常に辛いものだったろうと思います。
重ねてソードのペイジが出ていますので
やはり新しいものへの兆しは確かにあるのだと思います。
ただ、それは作者の虚子がそういうメッセージを
読み込んだと言いたいわけではありません。
ペイジですからまだ小さくて弱々しく
この時点では誰も気がついていなかったことだろうと思います。
子規の死という大きな悲しみを受け入れてこそある未来。
そこにある新しい兆しをこの句から感じられるのは
後の世代の人ならではなのかなとも思います。
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