No.41_潮の香や野分のあとの浜畠_齋藤俳小星
ペンタクルの5、ソードの10、カップの4
野分は台風のことで「のわき」とも「のわけ」と読みます。
私はわりと大きな気圧の変化に弱くいわゆる気象病持ちですが、
台風が来るとちょっとテンションが上がり気味になります。
理由はよくわかんないんですけど、
なんかワクワクしてきちゃうんですよね。
いつだったか、台風の時についつい楽しくなって
窓を全開にして外をしばらく見ていたら
家の中びしょびしょになってひどく後悔しました。
さて、カードを見ていきます。
一枚目、ペンタクルの5は貧乏カード。
全て失うという意味です。
自分のことを占ってこのカード出たら結構凹みます。
二枚目、ソードの10で考え抜くとか現実への不満。
三枚目、カップの4でマンネリとか飽きるとかです。
出てきたカードを見る限り、
この句の野分はかなり大きな被害を出したようです。
畠にまで潮の香りがしているということですから
高潮が堤防を越えて町を飲み込んだのかもしれません。
なにしろペンタクルの5が出ていますので。
家も畠も全部流されて全てを失った。
何も残っていない。
と、そんなことが思い浮かびます。
ソードの10も見るからに痛そうな絵柄ですが、
その通りのシリアスなカードです。
考えても考えてもどうにもならないというような感じ。
そのものずばり災難に遭うという意味もあります。
そしてカップの4ですが、これも明るい気持ちにはなりません。
閉鎖的になっていて、周りが見えていない状況。
よく見回せば身近なところにも可能性があるんだけど
それに気がつけるような余裕がない状況です。
私はカードを読む時比較的ポジティブバイアスが
強めに出てしまうことが多いのですが
今回ばかりはどうにも野分の被害が大きすぎるようで
暗澹たる気持ちになってしまいました。
しかし、三枚のカードをつらつら眺めているうちに
共通するメッセージがあることに気がつきました。
「周りをよく見回してみて」というアドバイスです。
ペンタクルの5はよく見ると教会のステンドグラスが描かれています。
素通りしちゃってるけど、気がついて教会の扉を開けば
慈悲の心に触れる事ができるかもしれない。
ソードの10も空から小さな光が漏れて
明けない夜がないことを暗示していますし、
カップの4もちゃんと周りを見渡していたら
差し出されたカップがあるんだよと言っています。
そう思って、この句をもう一度読み直してみると
どことなく広い視線で見ている感じがしてきました。
ちょっと高いところから野分のあとを見下ろして
「ここまで潮の香り」って思っているのかなって。
だとしたら、タロット様が伝えるこの句のキモは
「世の中を自然をあるがままに見る」
ってことなのかもしれないなと思います。
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