No.47_絵杉戸を転び止まりの手毬かな_山崎楽堂

ソードの9、カップの5、月


山崎楽堂という方は建築家なんだそうです。

能楽堂とか能舞台などの設計をされたんですって。

無理矢理、建築繋がりの話題を出すと、

うちの今年のカレンダーは清水建設さんから頂いたものです。

一月はの写真は重力式コンクリートの梁川ダム。

自動打設システムを使って作ったとカレンダーに説明がありました。


カードを見ていきます。

一枚目、ソードの9。

説明するまでもない絵柄ですが、苦しみとか不安。

二枚目、カップの5。

こちらも絵柄の通りの意味で、がっかり、失う悲しみ。

三枚目、月。

このカードだけ大アルカナで夢、曖昧、不安定などの意味です。


手毬が転がったことで何かが起こったのかなと思いました。

この句のシチュエーションから想像するなら

手鞠が盆栽を割ってしまったとか、

手毬に躓いた人が怪我をしたとか。

出ているカードにカップと月があるので、

具体的なことではなく気持ち的なことかもしれません。

ただどちらにしてもネガティブなことだと思います。


転がった手毬は絵杉戸で止まるわけですけど、

ソードの9がありますので

「止まってよかった」というよりは

「出口がない」みたいな感じがします。


俳句とカードを見比べて私が思い描いたのは

「犬神家の一族」的なおどろおどろしさです。

転がった手毬を追いかて絵杉戸に着くと

そこには三女の死体があった。

ぎゃー(悲鳴)。


ただ、今回出てきたカードに実体のあるものは一枚もありません。

ソードは思考とか知性ですし、カップは気持ちや感情。

月は曖昧なものや不安定なものを象徴するシンボルです。


実際にはたまたま転がった手毬がたまたま絵杉戸で止まった。

ただそれだけのことなのだろうなと思います。

そして、そこに意味を見出すのも見出さないのも

読む人の自由ってことなのかなと思いました。


今回、一番面白かったのは手毬の句に月のカードが出たところです。

どっちも丸い形ですね。

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